肺炎で死亡(4)

気がついたら

あいたたた

母さん、ずっとベンチで寝るのキツイね体痛ってーや

うん疲れたねぇ

こんどは母さんの番だよ風呂入りに家に帰りな

うんたのむね

 

交代で張り付いて

 

 

何日たったんだ?

 

 

医師に呼ばれた

 

 

そろそろ痛みをとってあげましょう

 

 

ああそれは助かります

 

 

 

薬を点滴チューブから投与します

 

 

ああそうでしょうねぇはいはい

 

 

 

それが

 

 

もう抗うことをやめて

 

 

身を任せましょう

 

 

という意味だとは

 

 

 

疲れ果てた私に

 

 

 

その場でピンとくる集中力、

 

 

 

なかった

 

 

 

 

入浴を終え一息入れることすらせず母、

 

 

またかけつけた

そのころにはやっと意味が理解できかけていた私

母に伝えた

 

 

 

 

痛みを取る薬を入れてあげようだってさ

うんそうねそうしてもらおう

 

 

 

 

母の返事も速い、たぶんピンときていない

 

 

 

ちがうんだよこれってつまり。。言い出す動機がなぜか僕の体の中にはなかった

 

 

 

 

入院して移行はサチレーションが回復し数日後には90に達することもあった

でも、なんであの提案、今考えてもまだ理由がわからない

90にたまになるくらいではダメなのか

 

私も母も運ばれた時の40と比べてしまうから

それになんか親父

今日おだやかだし

 

 

 

ちょっと今日は会社に行ってくるわ

5時にすぐ戻るからさ

なんか親父回復してるっぽいね

そうね、すごくおちついてる

行っといで見てるから

じゃね、また

 

 

 

携帯が

「さっき、急に苦しがって、おおおとおさん、ししししんじゃったのぉ。。」

 

 

 

 

 

すぐいく

 

 

 

出社してほんの1時間後

 

親父のもとを離れてたった2時間後

 

狙いすましたように

 

 

 

 

うかつだった

 

 

 

 

落ち着いて見えたのは

なんか強い「楽にする薬」のせいだ

 

 

サチレーションはもう意味わかんなくなってたし

なにより俺も母も正常な判断力はなくなってた

 

 

 

信号で止まった記憶も

ハンドルを切った記憶も

エレベータに乗った記憶もないまま

最上階の病室についた

 

 

おとうさんが。。。

俺がいない間にひとしきり取り乱し終わってしまっていた

やけに具体的に状況説明ができる母

覚悟して目に焼き付けたっぽい

二人だけにしてあげれたわけか

 

 

 

俺は

葬儀の途中で急に意識が戻って取り乱すまで

ぼんやり

 

妻も娘も到着

したみたい

 

遠くに住む姉も到着

したみたい

 

 

皆も俺も泣いた

みたい

 

 

 

 

親父が運ばれていった

 

なぜか大きな窓が目の前にあり外を見る

 

すごく晴れている

 

最上階に通された時点から決まっていたんだろう

全く気付かなかった

 

 

 

親父の意識があった最後の瞬間は昨日のお昼、

 

苦痛で暴れ狂うなか手を強く握っていた俺の目を

見えていないだろう親父の目が探しながら口をパクパクさせた。

 

多分一生で3,4回しか言われたことがない

 

親父からの「ありがとう」だった。

 

礼なんかよりも。。

 

いや、今は礼が嬉しかった。

 

 

 

おわり